広島地方裁判所 昭和46年(行ク)18号 決定 1971年11月08日
申立人 尹基学
被申立人 広島入国管理事務所主任審査官
訴訟代理人 片山邦宏 外三名
主文
一、被申立人が申立人に対して発付した昭和四六年一〇月一三日付退去強制令書に基づく執行は、本案判決確定に至るまで、これを停止する。
二、申立費用は、被申立入の負担とする。
理由
一、申立人の申立の趣旨及び理由は、別紙(一)記載のとおりであり、被申立人の意見は、別紙(二)記載のとおりである。
二、当裁判所の判断
(一) 申立人の経歴及び本件退去強制処分の経緯
本件疎明資料によれば、次の事実が一応認められる。
申立人は、昭和六年一二月一〇日旧満州国撫順市において、朝鮮戸籍を有する父尹永杢、母沈永三の二男として生れ、昭和二〇年八月頃家族と共に本籍地である韓国慶尚南道巨済島に引揚げたが、申立人が国立ソウル大学一年のとき、朝鮮戦争が始まり、右大学は無期限休校となり、申立人は本籍地で強制徴用され、警察官勤務を命ぜられた。しかし、これは申立人自らの意とするところでなく、申立人は、余儀なく中断された勉学を続けるため、戦争下の祖国を離れて日本に亡命することを決意し、昭和二八年四月頃有効な族券又は乗員手帳を所持することなく韓国全羅南道麗水港から鮮魚運搬船に乗船し、博多港に上陸して本邦に不法入国した。入国後申立人は、東京に移り、昭和二九年四月一日朝鮮人金谷年雄名義で明治大学商学部に入学したが、同年一一月二八日入学資格詐称により入学を取消され、昭和三一年東京に新設された朝鮮大学政経学部に入学し、同三四年三月右大学を卒業し、同年七月朝銀埼玉信用組合に勤務し、昭和四〇年五月から同四六年四月まで朝銀広島信用組合の常務理事、同年五月から現在に至るまで朝銀福岡信用組合の副理事長として勤務している。
この間、申立人は、昭和三〇年五月七日静岡県四方郡字佐美村城宿居住の金在聖方を居住地とし、大阪市を出生地として伊東市長に外国人登録証明書の交付を申請し(なお、申立人は昭和三〇年三月二二日熱海簡易裁判所において、外国人登録令四条一項違反として罰金二〇〇〇円の略式命令を受けている。)、同日右証明書の交付を受けたが、伊東市長からの通報により横浜入国管理事務所において、不法入国容疑者として違反調査を受けた。右調査に対し、申立人は、件外任太順(申立人の友人で、申立人が入国後一時寄寓していた任太連の弟)が別名「梁連生」名義の外国人登録証明書を有して本邦に居住しているのを奇貨とし、同人の氏名と経歴を用いて、本邦において出生し引続き本邦に居住するものである旨主張して処分を免れていた。
ところが、昭和四五年四月三〇日右任太順に対する不法入国容疑事件について、横浜入国管理事務所入国警備官が、同人の姉任太連を取調べた結果、申立人の前記主張が偽りであつたことが発覚した。右事実を知つた申立人は、同年五月七日広島入国管理事務所に一七年前の不法入国違反事実を申告し、右事務所入国警備官による違反調査の結果、出入国管理令(以下単に「令」という。)二四条一号に該当する旨の容疑を受け、同年一〇月九日令三九条により被申立人の発付した収容令書により収容されたうえ入国審査官の審査をうけ、令二四条一号に該当する旨認定された。申立人は右認定につき令四八条に基づき口頭審理を要求し、特別審理官による審理をうけたが、昭和四六年七月二〇日右認定に誤りはないと判定され、申立人は、令四九条に基づき同日法務大臣に対し異議申出をなしたが、法務大臣は同年九月二九日右異議申出は理由がない旨裁決し、被申立人は、同年一〇月一三日申立人にその旨告知するとともに、本件退去強制令書を発付(以下「本件処分」という。)し、申立人は再び収容された。なお、申立人は同日被申立人に対し仮放免を申請し、翌一四日二〇万円の保証金により、同年一一月一三日午前一一時を期限として仮放免された。
そこで、申立人は、被申立人及び法務大臣を被告として、同年一〇月二〇日当裁判所に本件処分及び法務大臣の裁決の取消しを求める訴えを提起するとともに、本件申立に及んだものである。
(二) そこで、本件申立が行政事件訴訟法二五条の要件に該当するか否かについて判断する。
(1) 本件疎明資料によれば、申立人は昭和三四年一一月全甲善と結婚し、同人との間に長女香淑(昭和三五年一〇月一日生)、長男泰俊(昭和四一年七月六日生)、二男泰秀(昭和四三年一一月一〇日生)の子供がおり、右妻子らは、申立人と同居し、その扶養にかかるものであることが認められ、右の事実及び先に認定した申立人の経歴、現在の職業的地位並びに申立人が本邦に居住することを切望して本件処分の取消しを求めて本案訴訟を提起していることに鑑みれば、申立人が本件処分の執行により強制送還されるならば、本案訴訟の遂行は事実上不可能となり、また、申立人が本邦に居住している間に築きあげた生活基盤を失うことから、申立人及び申立人を生活の支柱とする妻子らの生活にとつても精神的物質的に重大な打撃を与えることになり、右による損害は申立人にとり回復し難いものになるおそれがあり、これを避けるため緊急の必要があると考えられる。
被申立人は、かりに強制送還部分の執行が申立入に回復し難い損害を与えるおそれがあるとするも、収容部分の執行はこれに当らない旨主張する。しかし、<証拠省略>によれば、申立人は慢性癒着性虫垂炎の病症があり、現在も生活を規正し、長期加療のうえ、経過を観察する必要があること、申立人の長男泰俊も慢性気管支炎、慢性腸炎に罹患し、虚弱な体質であること、申立人の家族は申立人の給与によつてその生活を維持していることが一応認められる。右の事実からすれば、本件処分により申立人が収容されるならば、申立人およびその家族の生活に相当程度の損害を与えるおそれがあるということができる。さて収容処分はあくまで強制送還の保全のためという二次的な意義しか存しないものであり、収容処分が被収容者の自由を拘束するものであり、精神的な苦痛を伴うものであることに照らすと、逃亡のおそれがある等収容を継続しなければ強制送還の執行が不能になるような特段の事情がない限り、収容処分の執行により被収容者に相当程度の損害が考えられる時は、右二五条二項にいう「回復の困難な損害」が存在するものといつて差支えない。そして、本件の場合、申立入の現在の生活環境に照らせば、収容を継続すべき特段の事情があるとは言えず、且つ、前記のように申立人は本件処分による収容により相当程度の損害を被るのであるから、右収容部分の執行についてもなお申立人に回復し難い損害を与えるおそれがあり、これを避けるため緊急の必要があるといえる。
(2) 次に、被申立人は、本件申立は「本案について理由がないとみえるとき」に該すると主張する。令四九条に基づく異議申出に対する裁決に当り、法務大臣は令五〇条一項三号の特別在留許可を与えるか否かにつき、自由裁量権を有しているとしても、裁量権を濫用もしくは逸脱するものについては、司法的救済を受けられるものであり、本件について法務大臣が右特別在留許可を与えなかつたことが裁量権の濫用もしくは逸脱に当るか否かは申立人の本邦入国の目的ないしその後の本邦におげる申立人の生活態度、従前の同種事案についての慣行及び取扱例等を考慮して慎重に判断すべきものであるところ、現段階において直ちに本件の裁決が裁量権の限界を超えていないと判断しうる資料は見当らない。従つて、法務大臣のした裁決およびこれを前提とする被申立人の本件処分が適法であるとはにわかに断じ難いので、本件申立はいまだ「本案について理由がないとみえるとき」に当るとは断定できない。
(3) また本件処分の執行を停止することにより公共の福祉に重大な影響を及ぼすことを肯定すべき資料はない。
三、以上の理由により、本件申立は理由があるので、認容することとし、申立費用につき、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり決定する。
(裁判官 竹村寿 高升五十雄 井上郁夫)
別紙(一)(二)<省略>